3月のMLB開幕シリーズで、福留孝介はMLBでプレーした5年間のキャリアについて語り、現在シカゴ・カブスで活躍する今永昇太が見事に成功を収めている分野で、自分は惨敗したと感じている。
MLBは選手層が厚く、全盛期に渡米した選手であってもNPB時代と同じような成功を収める者はごくわずかである。ビル・ジェームズが提唱した「Win Shares」という指標で見ると、MLBで一定期間プレーした日本人選手の中で、福留孝介ほど大きく成績を落とした選手はいなかった。苦戦を強いられた松井稼頭央でさえ、最終的にはMLBの環境に適応していった。
しかし、日本に帰国後、福留ほどの成績を残せた選手はほとんどいない。
2006年、セ・リーグで打率・出塁率・長打率の三冠を達成し、最も打者に不利な球場でプレーしながらもMVPにふさわしい活躍を見せた。そして、31歳の誕生日を2週間後に控えた2008年、シカゴ・カブスでMLBデビューを果たした。帰国後、彼は2013年、36歳で阪神タイガースに入団すると、再び輝きを取り戻した。
東京ドームで取材に応じた福留は、自分は海外での野球キャリアに適応するには年齢が高過ぎた、また日本人特有の遠慮し過ぎる気質が出てしまったと思っているようだった。
「 僕の場合はたまたまそういうふうになったけど、やっぱりそういう生活環境だったり、色々なものが変わったりするところをアジャスト(修正する)できるかどうかというところもあるだろうし…若い時にアメリカに渡れば、アジャストしやすいっていうところもある。僕の場合はやっぱり結構年齢がいってから、こういう成績だったのでなかなか難しかったんだなぁと思う。だから、もっと若い時に行けていたら、また違ったかな。あと、やっぱりもっともっと積極的になれてたら良かったと思う。日本人ってどうしても遠慮するので、もっともっと自分をどんどん出していけてたらもっと楽しかったかなと思う。それがやっぱり自分で失敗というか後悔すること。」
2022年6月7日、無表情のままノーヒットノーランを達成した今永昇太は、日本では冷静沈着な投手として知られていたが、シカゴ・カブス入団会見ではチームの勝利の歌を披露するなど、アメリカでは表現豊かだった。
今永は「以前の自分は、誰かの期待に応えるために“そうあるべき自分”にならなければならないと思っていました。でも、そうではなくて、ただ自分が人生を歩んでいく中で野球があるだけ。僕はそう考えるようになりました。だからこそ、人生を楽しむべきじゃないかと思うんです。アメリカに来てから、自分のやりたいことを誰かのために決めるのではなく、本当に自分がやりたいことをやることが、一番大切なことだと気づきました。」と語っていた。
このことについて福留は大きな衝撃を受けた。「今永のコメントを聞いて、本当にすごいと思いました」と福留は言った。「彼は対戦相手への敬意を示しながらも、自分をどんどん表現する方法を見つけています。それをはっきりと口にしたこと自体、非常に意義のあることだと思います。」